大阪朝日新聞 1936.12.7(昭和11)「南方処女空路に燦と輝く大記録 日暹間を二日で結ぶ」
昭和11年12月6日、大阪朝日新聞所有の「大鵬型号」、それも国産機、中継した台湾を出発し、ベトナム上空を飛び、タイのコラート上空、そして、バンコクに無事到着。
これまでの戦前の新聞記事を見た範囲では、これが、日本から最初にバンコクに飛行した飛行機。(この飛行は、定期便が運航される以前の試験飛行の位置づけ)

記事内容
本社日暹親善の大飛行遂になって東京−バンコック間五千キロの空の厳然たる一線は画されたが、純国産機の最初の海外雄飛として南方処女空路に驀進したわが『大鵬型号』の快翔ぶりはまさに航空日本の意気を全世界に誇示したものである、
東京−台北間の第一航程においてすでに偉大なる記録を樹立した『大鵬型号』と新野、長友、永田の三鳥人は六日バンコックを望んで征空の意気まさに烈々、台北早朝の悪天候の中に断固として離陸を敢行機上無電は『視界悪く島影見えず』と報じ、台湾と支那大陸との間には密雲掩うて全く視界なき中に雄飛した三鳥人の意気は悲壮なものがあったであろう、
熱風渦巻く南国幾多山岳重量の未知の空を刻々征服して午後二時三十二分には早くも安南山脈の上空午後四時半バンコック北々東三百七十キロの地点に差かかり、ついで午後四時五十分にはバンコックへ二百キロのコラトに達し、かくて午後五時四十八分(日本時間)目ざす大飛行の晴れのゴール、バンコックのドンムアン飛行場に到着したのである、
台北−バンコック間二千七百キロの第二航程翔破の所要時間十時間四十四分、ここに第一航程とともに日本航空界に二つの新記録を樹立したものである、第二航程においては平均時速二百五十キロを示している
「作成・所蔵:神戸大学経済経営研究所 提供:神戸大学附属図書館」
日本からタイへ空路が開設され、飛行機が始めて飛んだのは、いつごろか、。
まずは、戦前の新聞記事を探すのが一番。そこで役に立つのが、神戸大学付属図書館が公開している新聞検索。新聞内容もテキスト化されていて本当に有り難い。そこで、同館の許可が得られたので、記事引用し紹介することができた。
まず、当時の空路におけるタイの位置づけを確認する必要がある。
そこで、紹介したのが、この記事、東南アジアにおけるハブ空港として、シンガポールより、タイの重要性を指摘する。この大阪時事新報 1935.4.26(昭和10)の記事から、すでに73年が経過しているが、当時の視点の正しさを伺える。
下記に紹介のように、昭和10年、すでにタイ国は「古い航空の歴史を持って居る」ことが分かる。
「この国の航空術は他の東洋諸国と違い大した犠牲も払わずして可なりの発達を遂げ、相当古い航空の歴史を持って居る、蓋し十数年前に開始せられ今尚お一週二回の航空輸送を継続して居る、北部ウドン、コーラット間の航空連絡は東洋における定期航空輸送の開祖でないかと思われる、」とあり、航空輸送に於けるタイの発展が見えている。

大阪時事新報 1935.4.26(昭和10)
「東洋空路の中心暹羅の重要性 シンガポールは既に無価値 日本と連絡が急務 国際航空一考察 在盤谷 植松秀雄」
以下。本文から抜粋
この国には航空に絶好の条件を備うる天空がある殊に地形上の関係から気流その他のコンディションに完全に恵まれて居るためでもあろう、
この国の航空術は他の東洋諸国と違い大した犠牲も払わずして可なりの発達を遂げ、相当古い航空の歴史を持って居る、蓋し十数年前に開始せられ今尚お一週二回の航空輸送を継続して居る、北部ウドン、コーラット間の航空連絡は東洋における定期航空輸送の開祖でないかと思われる、
無論地理上の関係が主因であることは争われないが最近欧亜連絡の凡ての航空路は何れも暹羅を中継着陸地に選定した、
即ちオランダのK・L・M社、英国のイムペリアヤル・エヤーウェイ、仏国のエール・フランス等の各社は何れも一週一回の定期航空をこの地を中継として設定している、
殊に仏国は最近更にドムアング、ハノイ間の連絡航路を開始するなど何れも欧亜連絡の上に著しい活躍を演じつつある
盤谷を去る北方二十粁のドンムアング陸軍飛行場をその着陸に利用し、毎日の様に欧洲から、濠洲から、近くは印度、ジャワ、仏領印度支那等から旅客郵便物を満載して飛来する、 従ってこの地においては欧洲の新聞紙は遅くも一週間内には食卓の上で開かれ賑かな話題を供給するという現状である
日本目下の計画では航空路の選定が現在四通八達の一大ジャンクションであるこの暹羅を捨ててシンガポールを選んだのは甚だ遺憾である、
国際航空上におけるシンガポールの地位を見ると今は単に一のイムペリヤル・エヤー・ウエイを有するのみである、
航空に因る国際連絡の地位としては現在においては最も貧弱な一地点に過ぎない、しかも国際航空の趨勢から見て将来においてもその地位は著しく改善せらるべき望みがない、
更にこのイムペリアヤル・エヤー・ウェイもシンガポールへ飛行するためには暹羅を中継として航空連絡をなしつつあるのである、
だから我国によって日暹間の連絡を開始するということは欧亜連絡の完成と同時にシンガポール日本間の聯絡を達成することにもなるこの点我国当局者及航空関係業者が
尚お一応の考察を重ねられんことを切望する(在盤谷 植松秀雄)
「作成・所蔵:神戸大学経済経営研究所 提供:神戸大学附属図書館」
盤谷:バンコク / ドンムアン / ウドン:ウドンタニ / コラート:ナコンラチャシーマ / Imperial Airways /

切手の原画作成者は長年,切手の図案を手掛けて来られたデザイナーの久野実氏(故人)
スペースカバーは、
『日本のスペースカバーは伝統的な木版画で作りたい』すべての工程で、日本の伝統技術にこだわり、手漉きの和紙に手摺りの木版画で絵柄を作製の「銀座わたなべ」。国内唯一のスペースカバー製作会社。
江戸時代より受け継がれた彫師・摺師の職人の卓越した技で、日タイ修好100周年記念のスペースカバーを紹介。
なお、先日紹介した「日タイ修好100周年記念 FDC-1」 は、
ここです。
タイのルークトゥンの歌姫として有名な「ターイオラタイ」のポスター。


ある店で、VCDを購入した際、それとなく、ターイオラタイのポスターが欲しいのですがと話してみたところ、↑上の写真、左上に見えているポスター、店内に二枚張ってあるからとそのうちの一枚を剥がし、それをいただけるとのこと。
これには、脱帽してしまった。

なお、ターイオラタイのサイトは
ここにあります。
YouTubeでは、
ここです。
タイオラタイ / tai orathai /tai orrathai /
『標準大東亜分図 タイ國篇』 株式会社統正社 昭和18年発行 サイズ:約54.5×76センチ 縮尺:1/200,000



バンコク周辺の拡大部分

すべて「カタカナ」だけで土地名表示です。
特に、戦前のタイ関係書籍の土地名には、カタカナ表示がほとんどで、場所の特定に一苦労されている方も多いと思います。かなり詳細に地名の記入がされているという印象を受けます。
タイから感じる安らぎ、このような寸景は捨てがたい。

タイでは、さらに、このように寸景が続いてゆく。この僅かな寸景の違い、これに、眼をこらしながら過ぎてもよし、過ぎてからその残像を楽しむのもまたよし、フリースタイルに構えるのが旅の楽しみ。
タイとはと、思いつめていると、この寸景は、方向性を見いだせるよき案内になるかもしれない。
要領を得ないように見えるが、すべては、要領を得ないものから、掬い取ってゆくしかない。このように要領を得ないように見えるものに敏感にアンテナをたてるのも、タイの楽しみの一つ。
在日のタイ人向けのカレンダーです。タイ、日本の両方の祝日がタイ語で説明あり、また、月、曜日も、すべてタイ語表示となっています。

(サイズ 59.5cm*86cm)
サムイ島(コサムイ)は、タイ南部、タイ湾に浮かぶ3番目に大きな島、素朴でのんびりした島が人気を集めている。
交通手段は、バンコクやプーケットからの空路、または、南部の町スラタニからフェリーや船を利用と案内されている。
タイ国政府観光庁制作のポスター、これで、所有したものはすべて紹介しました。
なお、遅くなりましたが、これらのポスターは、タイの友人・ラワンクル氏より、当時、拝受したものです。その後、引っ越しをしたり、家財整理をしていますが、タイ関係のものは、最重要品に扱ってきましたので、破れや汚れ、シミ、日焼けなどを含めた経年変化の影響を受けることなく、保存することができ、ご紹介することが出来ました。
明日は、KDD制作のポスター型カレンダーを紹介予定です。これもラワンクル氏より拝受したものです。
戦前、タイで発売されていた日本のマッチ タイの出版物よりに下記を追記しました。
東京朝日新聞 1912.11.4(大正1) 暹羅の本邦燐寸
暹羅は従来燐寸の供給を海外に仰ぎ来りしが適当なる燐寸用木材、火薬等の材料なき同国のことにて将来も海外よりの供給を仰ぐ方外なかるべし最近暹羅に於ける燐寸輸入高は七十八万七千五百三十三銖(一銖は七十五銭)にして累年大差なく同国住民は個人として衛生思想に乏しく又公衆衛生設備も不完全なる上に気候風土も良好と称し難ければ人口の増殖は遅々たるべし従って燐寸の需要も今日より激増すべしとも思われず燐寸の仕出地を見るに香港を第一とし日本、支那、瑞典之に次げるが香港よりの仕出燐寸の九割は日本品なりとのことなれば現今暹羅に於て需要する燐寸は日本品を第一とす然れども支那、瑞典の燐寸は其輸入堅実に増加しつつあり而も暹羅に於る燐寸需要は激進の希望なければ販路の拡張は自他の競争にあるを以て我当業者は大に戒心を要すべし
暹羅に於ては細軸の需要盛にして就中最も売行能きは三星、中興、大吉、三匙の四種にして盤谷市は勿論山間僻地に於ても燐寸販売の店頭には必らず之を陳列せざるはあらず各国燐寸は各々特色を有して市場に競争しつつあるが本邦品の主とする所は価格の低廉にして瑞典品は製品の堅固なるを以て名あり若し夫れ支那品に至りては輸入未だ日浅きも支那商人は利権回復熱を利用して支那人間に販路を求めつあり商標の如きも愛国、興漢等時好に投ずる名称を撰べり本邦燐寸の非難を蒙むるは容器の粗悪発火の不良にして暹羅に於ては一年に乾季と雨季との二季あるのみなれば燐寸の貯蔵は幾多の困難あり乾季の甚だしきに際しては発火容易にして動もすれば危険を醸すことなきに非ざるも雨季に入れば外部の表装先ず剥げて函内の燐寸は尚残存するも早く既に用途を充たず能わざる如きことあり遉に瑞典製品は此点に於ては用意周到なり
燐寸函の貼紙商標の意匠模様に対する暹羅国人民の趣向は比較的冷静にして何等特有の嫌忌事項あるを聞かず唯国人の大部分が仏教徒なるを以て商標面の側に燐寸火焔の仏前に於ける点火用として清浄の好適なるを附記する如きは又好箇の趣向ならんか
本邦製造者に警告すべきことは暹羅は未だ商標保護に関する何等の規定なきを以を販路拡く名声高き燐寸は奸悪の徒或は商標の偽造類似を為すの虞なきを保せざること是なり而も此場合に於て何等法律上の保護なきを以て当業者は平素注意を為し前陳の如き際には製造地に於て適当なる方法を講ずるを利とすべし。
「作成・所蔵:神戸大学経済経営研究所 提供:神戸大学附属図書館」

タイで、朝焼けを楽しむ時間を知った。特に、チェンマイでは、ホテルの窓のカーテンを、開けっ放しにしておき、夜が明けてゆくのを、夢と現(うつつ)の狭間で眺めていると、お寺から、パーリー語の読経が聞こえてくる。南国の朝靄のやわらかい質感と、解け合っている。
明日は。「サムイ島」を予定しています。
これは一回り大きなサイズで、73cm*103cm。
どこまでも青いタイの空と、仏塔の黄金の対比が見事に決まっていて、素晴らしい。見事な出来映えのポスター。本当に雲一つない天候に恵まれた乾季を利用して撮影されたものでしょうか。高い仏塔を、このように画面に収める高い写真技術も賞賛したい。
明日は、「曉の寺」を予定しています。

(サイズ: 60cm*85cm)
写真は大きくしてみないとその迫力が出てこないものです、この画面をクリックして、一番大きなサイズまで拡大して、ご覧になって下さい。このポスターに限らず、他のポスターも同様にして鑑賞ください。このポスターに収まったスコタイ遺跡、迫力を感じます。遺跡を巡る旅、バンコクからアユタヤまで足を延ばし、さらに、スコタイまで辿ると、タイを満喫です。
明日は「バンコクの黄金の仏塔」を予定しています。

(サイズ:59.5cm*85cm)
もう15年位は経過したポスターになるでしょうか。タイへの観光宣伝のポスターが街中の旅行会社、タイ料理店、駅構内などで、見かけられるようになりました。その当時、色々なポスターがタイ国政府観光庁から作成されていました。懐かしいポスターの一枚です。(サイズは60cm*85cm)
残っていたポスターは、数枚ですが、少しずつ紹介させていただきます。
デジタル一眼レフは所有していなく、旅行に愛用のデジカメ(LUMIX DMC-FX30)で、現物を撮影するのに苦労しましたが、ご覧いただける写真であればと願いつつ、ご紹介させていただきます。
タイ国政府観光庁のポスター、どの作品も凜(りん)とした品格が漂っていて、魅惑されます。タイの観光に対する力点は、日本のみならず、他国をも圧倒するものを感じます。タイ国政府観光庁から見習わねばならない点があります。
明日は、「スコタイ遺跡」のポスターを予定しています。
Bonnie Davis. 「Postcards of Old Siam」 (Singapore: Times Editions, 1987)
タイの古い絵葉書を紹介した書、出版はシンガポールです。絵葉書の解説文がよく整理されていて、分かりやすい。

この本に、紹介されている下の絵葉書が1887年開業の「オリエンタルホテル」の初期の状態。これ以降、次々と増築されている。有名な作家、サマセット・モームなどが滞在したのは、このころのホテル。当時は、チャオプラヤー川沿いにあったホテルはここのみ。

下は、ホアヒンの現・ソフィテル・セントラル・ホアヒン・リゾートの旧館部分。

明日からは、
懐かしきタイのポスターの紹介をシリーズで予定しています。
15年位前、タイ国政府観光庁制作、明日の初回は「水上マーケット」を予定。
毎回、朝6時の定時刻にアップです。
この本は、タイの紙類のコレクションを紹介した書「クラシック印刷物 สิ่งพิมพ์คลาสสิค」、このなかに、日本では、もう忘れられてしまった古い戦前のマッチが紹介されていて面白い。
Anake Nawigamune (เอนก นาวิกมูล) 著「クラシック印刷物 สิ่งพิมพ์คลาสสิค」 1990年出版
コレクションの世界は、いろいろ多岐にわたっていて、無限で限りない。




日本には、社団法人日本燐寸工業会と協同組合日本マッチラテラルが運営する「
マッチの博物館」があり、覗いてみるのと面白いマッチの世界が紹介されている。
なお、↓このマッチはタイ製のようですが、デザイン的に好きなタイプ、長閑な雰囲気を楽しめる。
マッチ棒が50本入りで、50サターン、いつ頃のものだろうか。

なお、参考資料として、下記がある。
東京朝日新聞 1912.11.4(大正1) 暹羅の本邦燐寸
暹羅は従来燐寸の供給を海外に仰ぎ来りしが適当なる燐寸用木材、火薬等の材料なき同国のことにて将来も海外よりの供給を仰ぐ方外なかるべし最近暹羅に於ける燐寸輸入高は七十八万七千五百三十三銖(一銖は七十五銭)にして累年大差なく同国住民は個人として衛生思想に乏しく又公衆衛生設備も不完全なる上に気候風土も良好と称し難ければ人口の増殖は遅々たるべし従って燐寸の需要も今日より激増すべしとも思われず燐寸の仕出地を見るに香港を第一とし日本、支那、瑞典之に次げるが香港よりの仕出燐寸の九割は日本品なりとのことなれば現今暹羅に於て需要する燐寸は日本品を第一とす然れども支那、瑞典の燐寸は其輸入堅実に増加しつつあり而も暹羅に於る燐寸需要は激進の希望なければ販路の拡張は自他の競争にあるを以て我当業者は大に戒心を要すべし
暹羅に於ては細軸の需要盛にして就中最も売行能きは三星、中興、大吉、三匙の四種にして盤谷市は勿論山間僻地に於ても燐寸販売の店頭には必らず之を陳列せざるはあらず各国燐寸は各々特色を有して市場に競争しつつあるが本邦品の主とする所は価格の低廉にして瑞典品は製品の堅固なるを以て名あり若し夫れ支那品に至りては輸入未だ日浅きも支那商人は利権回復熱を利用して支那人間に販路を求めつあり商標の如きも愛国、興漢等時好に投ずる名称を撰べり本邦燐寸の非難を蒙むるは容器の粗悪発火の不良にして暹羅に於ては一年に乾季と雨季との二季あるのみなれば燐寸の貯蔵は幾多の困難あり乾季の甚だしきに際しては発火容易にして動もすれば危険を醸すことなきに非ざるも雨季に入れば外部の表装先ず剥げて函内の燐寸は尚残存するも早く既に用途を充たず能わざる如きことあり遉に瑞典製品は此点に於ては用意周到なり
燐寸函の貼紙商標の意匠模様に対する暹羅国人民の趣向は比較的冷静にして何等特有の嫌忌事項あるを聞かず唯国人の大部分が仏教徒なるを以て商標面の側に燐寸火焔の仏前に於ける点火用として清浄の好適なるを附記する如きは又好箇の趣向ならんか
本邦製造者に警告すべきことは暹羅は未だ商標保護に関する何等の規定なきを以を販路拡く名声高き燐寸は奸悪の徒或は商標の偽造類似を為すの虞なきを保せざること是なり而も此場合に於て何等法律上の保護なきを以て当業者は平素注意を為し前陳の如き際には製造地に於て適当なる方法を講ずるを利とすべし。
「作成・所蔵:神戸大学経済経営研究所 提供:神戸大学附属図書館」